
中東情勢を受けて英・仏・独・伊・蘭・日の6カ国が2026年3月19日に発表した共同声明は、単なる外交的意思表示に留まるものではなく、米国主導の対イラン軍事行動とは明確に一線を画しながら、「航行の自由」という死活的利益を実力をもって守り抜くという強固な集団的意志を表明したものである。国際法的観点からは、国連安全保障理事会による授権なき複数国の個別的自衛権の並行行使へと進展する可能性を持った、「行動を可能にする文言(action-enabling language)」で構成されている。
しかしながら、翻って我が国の国会論議に目を向けると、議論は依然として「集団的自衛権の是非(あるいは当否)」という旧来の対立軸に縛られたままである。今こそ我々は、その議論が意図せずして放置してきた空白地帯、すなわち「個別的自衛権の射程」に正面から向き合うべき時ではないだろうか。
2015年安保論議の「前提」が崩壊する時
2015年の安保法制審議において、政府が繰り返し提示した事態類型は「機雷敷設による無差別封鎖」であった。「日本が直接の攻撃を受けているわけではない。しかしエネルギー供給が途絶する。だからこそ集団的自衛権が必要だ」という論理構成である。
だが、現下の事態は、その前提を根底から覆している。
現在、ホルムズ海峡においてイランが実施しているのは、機雷による無差別な通航妨害ではない。軍事力を用いた特定国籍船舶の組織的な拿捕・臨検、すなわち「選別的封鎖」である。この区別は、国際法上の性質において決定的に重要である。
| 無差別封鎖(2015年想定) | 選別的封鎖(現在) | |
| 実力行使の対象 | 全通航船舶 | 特定国籍船舶 |
| 国際法上の性質 | 通行妨害・海賊行為 | 特定国への武力行使 |
| 自衛権との関係 | 集団的自衛権が前提 | 個別的自衛権が直接発動し得る |
| 旗国主義との整合 | 複雑・間接的 | 旗国への攻撃として解釈可 |
選別的封鎖とは、特定国の船舶を狙い撃ちにする軍事的行為である。それは、当該旗国に対する明確な「武力の行使」にほかならない。もし、日本籍船・日本関係船舶がイランの軍事力によって組織的に拿捕・臨検・撃沈され、それが累積的かつ継続的に行われるならば、それはすでに一般的な通商妨害の域を超えている。これは、無差別封鎖とは本質的に異なる、日本に対する直接の「武力攻撃」と評価すべき段階へと進展し得る事態として論じなければならない。
2015年の審議は、この類型を議論の土俵に上げなかった。それは、審議の瑕疵ではなく、単純に想定外だったからであろう。しかし、想定外であったことは、今これを問わない理由にはならない。
谷川答弁が照射する個別的自衛権の可能性
ここで参照すべき法理的指針がある。1983年3月15日、参議院予算委員会における谷川和穂防衛庁長官の答弁において示された、「わが国に対する武力攻撃が発生した際、わが国民の生存確保に不可欠な物資を輸送する船舶への攻撃を排除することは、個別的自衛権の範囲に含まれる」との趣旨の政府見解である。
わが国に対する武力攻撃が発生し、わが国が自衛権を行使している場合において、わが国を攻撃している相手国が、わが国向けの物資を輸送する第三国船舶に対し、その輸送を阻止するために無差別に攻撃を加えるという可能性を否定することはできない。そのような事態が発生した場合において、たとえば、その物資が、わが国に対する武力攻撃を排除するため、あるいはわが国民の生存を確保するため必要不可決な物資であるとすれば、自衛隊が、わが国を防衛するための行動の一環として、その攻撃を排除することは、わが国を防衛するため必要最小限度のものである以上、個別的自衛権の行使の範囲に含まれるものと考える。
( 第98回国会 参議院 予算委員会 第6号 昭和58年3月15日https://kokkai.ndl.go.jp/txt/109815261X00619830315/3 )
この政府見解の射程を正確に理解することが重要である。この見解は「武力攻撃がすでに発生した有事」を前提として、生存確保に不可欠な物資を輸送する「外国船舶の護衛を個別的自衛権の範囲内と認定したものである。日本籍船であればなおさら、この範囲に含まれることは論を俟たない。
しかし、現代の問いはさらにその先行段階にある。「選別的封鎖それ自体が、武力攻撃と評価されるための要件は何か」――これが今日の空白地帯の正確な所在である。
国際法上、武力攻撃の認定において「累積的効果(accumulation of events)」理論は一定の支持を得ている。個々の行為が武力攻撃の閾値に達しなくとも、組織的・継続的に反復される場合、全体として武力攻撃と評価し得るという法理である。選別的封鎖がこれに該当し得ることは、十分に論理的射程の内にある。
ただし、経済的損害の深刻さのみでは足りない。ICJのニカラグア判決(1986年)が示したように、武力攻撃の認定には「相当程度の実力行使」が要求される。したがって、個別的自衛権の発動要件が充足されるのは、以下の三要件が事実認定された時点である。
- 拿捕・臨検が物理的強制力を伴う実力行使であること
- 日本籍船または日本人への直接的かつ組織的な実力行使が存在すること
- 上記が国家主導の行為であること(海賊行為との区別)
「臨界点」の論理的骨格は以上の三要件の充足に求められる。これは、新たな法解釈の創出ではない。既存の国際法理の、現実への正確な適用である。
「臨界点」の事前定義
「武力攻撃」への該当性を認定するにあたっては、前述の三要件を基礎としつつ、攻撃の主体・意図・対象の厳密な特定が求められる。また、いかに事態が深刻であっても、要件が充足されるまでは軍事的関与を厳に留保するという規律が、法の支配の観点からも不可欠である。この事実認定の高度な困難こそが、次の問いを必然的に招来する。
「いつ・いかなる条件で要件が充足されるか」という死活的利益の「臨界点」を、有事の到来を待たずに事前に定義しておくことはできないか。
ここで一つの概念的区別を導入しなければならない。「臨界点の事前定義」には、性質の異なる二つの類型が存在する。
第一は、「武力攻撃とは何か」を抽象的・網羅的に法定しようとする包括的事前定義である。これは、従来の政府見解において一貫して否定されてきた方向性であり、谷川答弁もまたこの方向を採らなかった。個々の事態はその性質・文脈・経緯において多様であり、抽象的な定義が現実の複雑さを捕捉しきれないという判断は、今日もなお合理性を持つ。この点について、私は異論を挿まない。
第二は、現に進行する特定の情勢を前提として、「この事態がいかなる段階に達したとき、武力攻撃と認定するか」を具体的に画する情勢適応的事前定義である。これは、包括的定義とは根本的に異なる。抽象的な法命題を定立しようとするものではなく、当該情勢という具体的文脈の中で閾値を事前に明示しようとするものだからである。
個別判断の原則とは、「有事が到来してから判断する」ことを意味しない。「当該情勢を深く踏まえた上で判断する」ことを意味するはずである。
今まさに国会が問われているのは、現下のホルムズ海峡情勢という具体的文脈において、「いかなる進展をもって武力攻撃と認定するか」を事前に議論し、政府見解として明示する意思があるか否かである。
この情勢適応的な事前定義には、二重の戦略的意義がある。
第一に、抑止力の強化である。敵対勢力が「どの段階で日本が自衛権を行使するか」を予測できなければ、段階的エスカレーションによる「既成事実の積み上げ」を抑制するインセンティブが働かない。閾値の明示は、曖昧さの戦略的悪用を封じる。
第二に、国際的正当性の先取りである。実力行使に至った際、その認定が事後的な政治判断で判断ではなく、事前の国会論議に基づくものであることを示せれば、「後付けの正当化」との批判を退け、同盟国・友好国との協調を容易にする。
個別判断の原則を堅持しながら、情勢適応的な臨界点を国会の場で事前に論じること――これこそが、今日の安全保障論議に欠けている視座であり、民主主義的統制を図るために不可欠な道筋であり、日本が自律的な安全保障主体として立つための土台である。
日本が選択しうる法的経路の現実的評価
以上を観点を踏まえて、現下の情勢において日本が選択し得る法的経路を整理する。米国が交戦当事国である以上、日米同盟を経由した集団的自衛権の発動は法的に複雑であり、また今回の六か国枠組みが意図的に米国を除外している点からも、それは戦略的にも適切ではない。
第一経路:重要影響事態認定(後方支援)
法的リスクが最も低く、国内政治における許容範囲も広い。「そのまま放置すれば日本への武力攻撃に至るおそれ」という要件へのあてはめは、ホルムズ海峡封鎖の現状において相当程度充足可能である。補給・情報・医療等の後方支援を中心とした関与が、当面の現実的対応としては安定的である。
第二経路:個別的自衛権の行使
前述の三要件――物理的実力行使・日本船舶への直接攻撃・国家主導性――が事実認定された時点で、法理的には発動要件を充足する。この経路の優位性は、米国への追従という批判を免れ、日本が自律的な安全保障判断主体であることを国際社会に示し得る点にある。集団的自衛権の政治的コストを回避しながら、より直接的な軍事的関与(船舶の護衛)を可能にする。
第三経路:存立危機事態認定(集団的自衛権)
英・仏・独・伊・蘭などから「密接な関係にある国」を新たに認定し、ホルムズ海峡封鎖を存立危機として閣議決定する経路である。法的には可能だが、「密接な関係にある国」の範囲を米国以外に拡張する新解釈が必要であり、政治的コストは高い。第二経路が閉ざされた段階での選択肢として位置づけるのが現実的である。
おわりに――真に自律的な安全保障とは何か
今回の六か国共同声明に日本が名を連ねたことは、外交・安全保障戦略として評価に値する。この枠組みは、対米追従でも孤立主義でもなく、国際法の原則と実効的な安全保障の確保を両立させようとする”第三の道”を示している。特筆すべきは、共同声明の参加国(日本を除く)がいずれも「個別的自衛権の枠組みで航行の自由を確保してきた実績を持つ国々」であるという事実である。
日本がいま問われているのは、同盟国の行動に受動的に追随するか、自国の法理に基づいて自律的に判断するかという選択である。そして、自律的な安全保障には、「個別的自衛権を発動する臨界点」を自ら定義する知的かつ政治的な営為が不可欠である。
党派的対立に陥りがちな集団的自衛権の是非論に議論を委ねるのではなく、現実の法理に根差した「個別的自衛権の射程」を正面から論じること――それが、対米関係と国際秩序の維持を両立させ、日本の国益に真に資する安全保障論議の出発点となる。
